自分はSNSというものが下手だ、という自覚がある。世を賑わすような鋭いネタを持っているわけではないし、かといって誰かと巧みに交流して輪を広げる器用さも持ち合わせていない。

それでも、これまではnoteを開くのが楽しみだった。自分にはない視点、誰かの生活の温感、剥き出しの思考。他人が書いた文章を読むことそのものに、面白さを感じていたからだ。

しかし、最近その「読む楽しさ」に影が差し始めている。理由ははっきりしている。生成AIによる記事の氾濫だ。タイムラインを眺めていても、「これは本当に人間が書いたのだろうか」という疑念が先に立ってしまう。整然としているがどこか虚無な構成、最大公約数的なアドバイス、妙に温かい言葉の羅列。

「これはAIが自動生成した記事ではないか?」、「だとすれば、自分はこの推論とベクトル計算によって生まれた記事に『スキ』を押せるだろうか?」という邪念が生まれ、純粋に楽しむことが難しくなる。
※人間の脳と近しい仕組みでは?という気もしないではないが…

そんな邪推が、かつての読書体験を濁らせていく。その文章の向こう側にいる、不器用で、偏っている「人間」の気配に価値があったのだと気づかされている。

SNSが下手な自分にとっての楽しみだった「読むこと」さえ、これからは疑っていかなければならない今のこの息苦しさは、きっと私だけではないはずだ。

※この記事の元となったnote投稿は、AIではなく本人の手によって綴られたものです。

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